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涼を継ぐ 日光天然氷物語<9>次世代へ  千年続く伝統技能2010年8月22日

天然氷の出来を見るマークさん。「日本のどこで箱を開けても日光の冬を感じてもらえる氷を造りたい」=日光市で


 夕立が過ぎて、風が和らいだ。日暮れを迎えた鳴虫山にシャッシャッと氷を削る音が響く。刃物を手に天然氷と向き合っていたのは一人の外国人だった。

 「水で洗い流しても落ちないごみやおがくずを削り取る。最後の仕上げですね」。流ちょうな日本語で語るのは、日光市在住の米国人マーク・オーエンズさん(30)。真剣な表情で氷を見つめ、しぶきを上げながら丁寧に磨き上げる。

 同市の姉妹都市サウスダコタ州ラピッド市出身。高校時代に日本に留学し、自衛隊の通訳などを経て五年前に日光の女性と結婚した。「日本の文化を肌で感じたい」と、今年から四代目氷屋徳次郎・山本雄一郎さん(59)のもとに飛び込んだ。

 「氷造りはまさに肉体労働」と笑いながら四十キロある氷板を軽々と運び出し、慣れた手つきで出荷用に仕上げる。今や周囲も「主戦力」と認める熱心な働きぶりだ。千年続く伝統技能に触れ、自然と共に生きる日本人の心を知った。「自然の恵みを利益に変えるのは日本独特の知恵。将来は外国でも売り出したい」と目を輝かせる。

 そんなひたむきな姿を山本さんがそっと見守る。「今はスクラップ・アンド・ビルドがはやる時代。でも、それじゃ天然氷も単なるブームで終わってしまう。大切なのはしっかりと地域に根を下ろし、文化を引き継ぐこと。それが歴史になっていくんだ」

 遠くでヒグラシが鳴いた。秋が来れば採氷池を掃除し、新たな氷造りの準備が始まる。氷が時間をかけて少しずつ厚みを増すように、涼を継ぐ人々の系譜はここ日光連山で確かに受け継がれていく。
日光 天然氷 四代目徳次郎 チロリン村 永井裕明
[写真]天然氷の出来を見るマークさん。「日本のどこで箱を開けても日光の冬を感じてもらえる氷を造りたい」=日光市で


  =おわり
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涼を継ぐ 日光天然氷物語<8>町おこし  新たな地域ブランド
2010年8月21日

天然氷を新たな地域ブランドとしてPRしようと開かれたかき氷のトッピングコンクール=2007年6月、日光市で(日光商工会議所提供)


 四代目氷屋徳次郎・山本雄一郎さん(59)は最近、ある変化に気が付いた。「日光に天然氷目当てで来る人が増えている」。以前は東照宮などへの観光ついでという人が多かったが、先月はかき氷を求めて京都から来た客がいた。「氷が旅の目的になり始めている」

 日光商工会議所事務局長の五味渕一友さん(54)もそんな思いを強くしている。「全国に五軒しかない天然氷業者のうち、三軒が日光に集まる。こんな貴重な地域資源を生かさない手はない」と言い切る。

 世界遺産の二社一寺を抱える世界的観光都市もここ数年の宿泊者数は右肩下がり。季節の風物詩としかとらえられてこなかった天然氷が、誘客の切り札になる可能性を秘める。

 商議所は二〇〇六年から「日光水物語」事業と題し、全国有数の水質を誇る水を生かし町おこしを進めてきた。その延長にあるのが天然氷を新たな地域ブランドにする試みだ。

 〇七年に天然氷を使ったかき氷トッピングコンクールを開催。市内の飲食店は「日光天然氷」の旗を使い一体感を高めた。今年三月に市や商議所などが策定した中心市街地活性化事業では、天然氷の販売促進を目玉の一つに掲げる。

 ただし、「なかなか一筋縄にはいかない」と五味渕さん。職人かたぎの氷業者は考え方も三者三様。氷の造り方から値段まで互いに譲れないこだわりを持ち、連携して物事を進めるのが難しい。

 五味渕さんは「宇都宮ギョーザのように、地域が一体となって氷を守っていく機運ができれば」と訴える。それが実現した時、天然氷が日光の新たな主役に躍り出る。
日光 天然氷 四代目徳次郎 チロリン村 永井裕明
[写真]天然氷を新たな地域ブランドとしてPRしようと開かれたかき氷のトッピングコンクール=2007年6月、日光市で(日光商工会議所提供)



涼を継ぐ 日光天然氷物語<7>仲間 宝を守る オヤジたち
2010年8月20日

天然氷造りの作業を終え、番屋で互いの労をねぎらう山本さん(右から2人目)と仲間たち=今年2月、日光市で


 「最初は氷の見学に来ただけなのに、いつの間にかあの人に巻き込まれて」。観光客にかき氷を振る舞う四代目氷屋徳次郎・山本雄一郎さん(59)の背中を見て、仲間の小平清崇さん(60)が苦笑した。

 氷造りは一人ではできない。切り出しや氷室での積み上げ作業には多くの人手が必要になる。三代目吉新(よしあら)良次さん(72)の時代は、近所付き合いで労力を賄った。山本さんを支えているのは地元の“オヤジ連中”だ。

 「日光ならではの天然氷を残したい」という思いに共感し、大工や喫茶店主、単身赴任の会社員ら知人が次々集まった。素人ばかりで最初は何もできなかったが、吉新さんの指導で徐々に技術を覚えていった。

 小平さんの普段の仕事は社寺の観光案内人。「氷を通じて大好きな日光を知ってもらう手伝いができるのは本当に幸せなこと」とほほ笑む。

 天然氷の販売を担う食品卸会社「フードピア日光」の片浦孝人社長(55)も氷造りに携わる。卸業は商品を右から左に漫然と流すだけになりがち。それが山本さんとともに地域に根差して汗をかくうちに生産者の努力を知った。「商品を扱う誇りと企業が生きる道を教わった」と感謝する。

 「天然氷は日光の宝だが、氷造りでできた仲間も財産」と山本さんは言う。冬は番屋で鍋を囲み、夏は天然氷を浮かべたオンザロックを酌み交わす。「四代目の看板が重いなら皆で背負えばいい」。仲間の笑顔がそう言ってくれている。「ずっと氷を守っていこう。おれたちの手で」。オヤジたちの情熱で天然氷は輝きを増す。
日光 天然氷 四代目徳次郎 チロリン村 永井裕明
[写真]天然氷造りの作業を終え、番屋で互いの労をねぎらう山本さん(右から2人目)と仲間たち=今年2月、日光市で
涼を継ぐ 日光天然氷物語<6>オンザロック  冷たさ持続 至極の一杯2010年8月19日

天然氷はゆっくりと溶けるほどに酒の味わいを変化させ、極上の一杯を演出する=日光金谷ホテルで


 琥珀(こはく)色の液体が注がれて、氷が潤いを増した。一口含むと、グラスの中で氷が回り、「カランカラン」と澄んだ音色を響せた。

 国内最古の西洋式ホテルとして名高い日光市の「日光金谷ホテル」。その一角にあるバー「デイサイト」は地元産の天然氷を使う。六年前、ホテル顧問を務める放送作家の小山薫堂さんが提案した試みだ。

 「氷は酒を冷やすためのもの。オンザロックにぴったりです」。バーテンダーの福田敏之さん(36)がほほ笑む。製氷機の氷と比べ、硬く溶けにくい天然氷は冷たさが持続する。ゆっくりと溶けるほどに酒の味わいをまろやかに変化させ、至極の一杯に仕上げていく。

 日光ならではのぜいたく。国内外から訪れる宿泊客は残った氷を「もったいない」と部屋に持ち帰るとか。子どもから大人まで誰もが楽しめるかき氷に比べ、オンザロックは大人だけに許された極上の天然氷の楽しみ方だ。

 グラスは明治、大正時代からホテルに伝わる年代物。日光の天然氷造りと同じ長さの歴史を持つ調度品が、優しく氷を包み込む。福田さんは「氷を造る人がかける手間と時間、そして真心を、お酒と一緒に届けたい」と語る。

 店内に響くジャズと、客のひそやかなささやきが混じり合う。昼間の喧騒(けんそう)を忘れ、ゆっくりと更けゆく夜は、まさに真夏の夢のよう。大人たちの時間に、乾杯-。

日光 天然氷 四代目徳次郎 チロリン村 
[写真]天然氷はゆっくりと溶けるほどに酒の味わいを変化させ、極上の一杯を演出する=日光金谷ホテルで
涼を継ぐ 日光天然氷物語<5>販路拡大 『これはいける』全国へ
2010年8月18日

天然氷のかき氷を買い求める人たち。「こんなにフワフワした氷は初めて」と連日大人気だ=東京都渋谷区の三越恵比寿店で


 今月上旬、東京・恵比寿。夏休みでにぎわう百貨店「三越恵比寿店」で、天然氷のかき氷を求める家族連れが列を成していた。「こんな氷、食べたことない」。一杯九百円前後のかき氷が飛ぶように売れる。

 老舗百貨店が四代目氷屋徳次郎・山本雄一郎さん(59)の天然氷に初めて注目したのは、二〇〇八年四月に都内で開かれた食品見本市だった。三代目の吉新(よしあら)良次さん(72)から氷作りを引き継いだ山本さんは「日光で売るだけでは他店と競合する」と考え、首都圏に新たな販路を求め出展した。

 初めは「わざわざ氷を売りに来たのか」と冷ややかな視線が送られた。しかし、来場者にかき氷を食べてもらうと評価は一変。用意した千杯分の氷はすべてなくなった。

 その様子を三越のバイヤーだった藤原弘樹さん(49)が目に留めた。後日、日光を訪れて氷作りの伝統を聞き、天然氷を味わった。「これはいける」。その場で確信し、同年七月から東京や仙台など各店で販売。連日人気を博した。

 この成功を足がかりに、天然氷は今や首都圏のほか、東海や関西の飲食店にも広がった。「知られていない商品を世に出せたのはバイヤー冥利(みょうり)に尽きる」と藤原さん。自身は昨年退職し、故郷・愛知県の知多半島で飲食店を営む。もちろん、天然氷のかき氷も販売する。

 「地域の良いものを絶やさず伝承することが、日本の食文化を育てる」。そう語る藤原さんの店先では「日光 
天然の氷」ののぼりが夏風にはためいている。


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[写真]天然氷のかき氷を買い求める人たち。「こんなにフワフワした氷は初めて」と連日大人気だ=東京都渋谷区の三越恵比寿店で



 
涼を継ぐ 日光天然氷物語<4>番屋 引き継ぐ職人の思い
2010年8月17日

番屋で天然氷造りについて話す3代目・吉新良次さん(左)と4代目・山本雄一郎さん(右)=今年2月、日光市で


 壁に歴代使われたのこぎりが並び、部屋の中央には年代物のストーブが鎮座する。氷室の隣、「番屋」と呼ばれる小屋で氷職人は暖をとり、夏は汗をひかす。「三代目御席」の張り紙がしてあるいすを見ながら、四代目氷屋徳次郎・山本雄一郎さん(59)がつぶやいた。「すべてここから始まったんだ」

 三代目吉新(よしあら)良次さん(72)の祖父・初代徳次郎が製氷業を始めたのは大正初期。冷蔵庫のない時代、天然氷は地元旅館の保冷用に飛ぶように売れた。吉新さんも中学卒業後、当然のように後を継いだ。

 しかし、冷蔵庫の普及と後継者不足で全国の天然氷造りは衰退。日光に三軒と長野、埼玉両県に一軒ずつを残すのみとなった。二〇〇六年、吉新さんも高齢を理由に廃業を決めた。

 また一つ、天然氷が消える-。チロリン村で吉新さんの氷を使っていた山本さんは慌てて駆けつけた。「手伝うから辞めないで」「もう決めた」。短い言葉に、代々続く家業を畳まざるをえない職人の決意がにじんでいた。

 それでも山本さんは毎朝、吉新さんのいる番屋に通った。氷造りの技や自然の偉大さなどあらゆる話を聞き、「氷は日光の宝。絶やしちゃだめなんです」と訴えた。

 「明日も来るんけ」。ある日吉新さんがつぶやいた。「はい」。「んじゃ番屋の鍵の場所教えとく。氷は簡単にはできん。覚悟しろ」。四代目徳次郎誕生の瞬間だった。

 それから四年。今年の氷は吉新さんが「五十年で一番」と太鼓判を押すほど上出来だった。それでも山本さんは「まだまだ」と話す。親方と仰ぐ吉新さんは日光連山の稜線(りょうせん)にかかる雲を見ただけで数日先の天気を読む。「親方に少しでも近づきたい」。伝統を背負った四代目の修業は続く。

日光 天然氷 四代目徳次郎 チロリン村 
[写真]番屋で天然氷造りについて話す3代目・吉新良次さん(左)と4代目・山本雄一郎さん(右)=今年2月、日光市で



 
涼を継ぐ 日光天然氷物語<3>先人の知恵 1000年超え
2010年8月16日

おがくずの中で眠る天然氷を取り出すと、氷室の中はさぁっと白い冷気に包まれた=日光市で


 木の香りに包まれて、夏の主役たちが出番を待っていた。

 日光・鳴虫山のふもと。採氷池の隣にたたずむ小屋が、四代目氷屋徳次郎・山本雄一郎さん(59)が天然氷を貯蔵しておく氷室だ。

 扉をくぐれば、ひんやりした涼しさが肌を包み、目の前に背丈より高く日光杉のおがくずが積もる。「この中に二月に採れた氷が入っている」と山本さん。スコップで掘り出すと、白い冷気がさぁっと足元をはうように広がり天然氷が姿を見せた。室内にわずかに漏れる陽(ひ)の光を受けて輝く結晶は、まさに宝石のようだ。

 おがくずは解け出す氷の水分を吸い取り、空気中に蒸発させて熱を逃す。冬の氷を一年中もたせる氷室は、自然の冷凍庫。「このやり方は千年以上も変わらないんだ」と山本さんが教えてくれた。

 氷室の歴史は古い。日本書紀にも登場し、平城京跡では、奈良時代の宰相長屋王が氷室を構えていたことを示す木簡が見つかった。かの清少納言も枕草子で、氷を「あてなるもの(上品なもの)」の一つに挙げ、こう表現している。「削り氷にあまづら入れて、新しき金鋺(かなまり)に入れたる」

 削った氷につる草の甘い汁をかけ、銀杯に盛る-。作り方が変わらないとすれば、宮廷の貴族がめでた味も今と同じか。ぼんやり考えていると、山本さんと一緒に働く長男の仁一郎さん(35)が笑いかけた。「先人の知恵ってすごいですよね。氷を造っていると、そんな歴史のロマンも感じる」

 おがくずをきれいに洗い流され、きらきら光る透明な天然氷。半年の眠りから覚め、全国へと旅立っていく。


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[写真]おがくずの中で眠る天然氷を取り出すと、氷室の中はさぁっと白い冷気に包まれた=日光市で



 
涼を継ぐ 日光天然氷物語<2>極寒の採氷池 真心込めて2週間2010年8月15日

今年2月、天然氷を切り出して運ぶ山本さん(辻村方成さん提供)=日光市で


 緑深い山道を進むと、急に視界が開けた。目の前に小学校のプールほどの大きさの池が二つ。「関係者以外知らない、とっておきの所だよ」。四代目氷屋徳次郎こと山本雄一郎さん(59)が笑う。せみ時雨が響く日光・鳴虫山のふもと。この採氷池が、天然氷が育つ場所だ。

 岩肌から染み出すわき水が、イワナが泳ぐほど清らかな沢となって池に注ぎ込む。太陽の通り道を杉が覆い隠し、冬はずっと日陰。五十年前、三代目吉新良次さん(72)の代から続く理想の場所で清水は氷に生まれ変わる。

 「待っているだけではいい氷はできない」。山本さんが力を込める。極寒の季節、氷が張ると、毎朝四時からほうきを手に表面のほこりや落ち葉を掃き出す。雪が降ると氷が解けるので、一晩中でも掃いて取り除く。つらい仕事だが、「夏に氷を食べてくれる人の笑顔を思い浮かべれば頑張れる」と胸を張る。

 こうして二週間。ゆっくり凍らす間に不純物は底に沈み、透明で硬い天然氷ができ上がる。厚さ十五センチになると電動のこぎりで切り出し、四千枚百六十トンの氷板にして氷室へ運ぶ。

 ただ、苦労が報われない時もある。暖冬の影響で二〇〇九年に採れた氷は例年の半分だった。「お天道様にはかなわないが、地元日光の観測記録では、この三十年で四度も気温が上がった」。自然と向き合う日々の中で、地球温暖化を敏感に感じ取る。

 それでも今年の氷は上出来だった。「いい氷にはね、木の年輪と同じで毎日できる日輪があるんだ」。山本さんの言葉に氷板をのぞくと、確かに無数の層が積み重なっている。その一層一層に、自然とともに生きる職人の真心がこもっていた。

日光 天然氷 四代目徳次郎 チロリン村 
[写真]今年2月、天然氷を切り出して運ぶ山本さん(辻村方成さん提供)=日光市で

涼を継ぐ 日光天然氷物語<1>伝統の味 かき氷 自然の味 一杯に凝縮2010年8月14日

「日光の自然のおいしさが詰まったかき氷です」と話す四代目氷屋徳次郎の山本雄一郎さん=日光市のチロリン村で


 シャリシャリシャリ。小気味良い音を立てて氷削機が回ると、真っ白い氷がフワフワッと器に落ちてきた。「わあ、綿菓子みたい」。麦わら帽子の少女が目を丸くした。グラスに雪のように積み重なる氷が、夏の日差しを受けてキラキラ輝く。

 日光市の霧降高原にあるレジャー施設「チロリン村」。夏の主役は何といっても、天然氷を使ったかき氷だ。日光の岩清水が生み出す清涼を求めて全国から観光客が押し寄せ、一日数百杯が飛ぶように売れる。

 天然氷造りは、大正時代から続く氷屋の三代目吉新良次さん(72)が高齢を理由に廃業しようとした四年前、チロリン村を経営する山本雄一郎さん(59)が引き継いだ。血縁はないが、地元の伝統が消えていくのを見過ごせなかった。以来、「四代目氷屋徳次郎」の看板を掲げる。

 「いい氷は透明で硬い。『冬の陽気を夏に売れ』っていうのが初代の教えだ」と山本さんが胸を張る。極寒の冬、二週間かけじっくり固まる氷は密度が濃く硬い。かき氷にするとかんなを使ったように薄く削れ、空気を含んでフワリと積もる。

 シロップは、妻雪子さん(59)の手づくり。地元で採れたとちおとめやブルーベリーを煮詰めて仕上げ、天然素材の優しさが氷の味を引き立てる。

 この夏、初代徳次郎さんの娘、我妻静枝さんが八十六回目の誕生日に初めてチロリン村を訪れた。さじをゆっくりと口に運び、目を閉じる。冬の恵みを閉じ込めた氷がすっと溶け、夏の涼となって体に染み渡った。「父の面影が浮かびますね」。そう言ってほほ笑んだ。

日光 天然氷 四代目徳次郎 チロリン村 
[写真]「日光の自然のおいしさが詰まったかき氷です」と話す四代目氷屋徳次郎の山本雄一郎さん=日光市のチロリン村で
【談話室】「宮カフェ」に日光天然かき氷 イチゴやレモン牛乳味
(8月13日 05:00)
 ○…宇都宮市中心部のオリオン通りにある「宮カフェ」に12日、日光天然氷のかき氷がメニューに加わった。

 ○…希少価値の高いこの天然氷は「日光の天然氷4代目徳次郎」。二宮産とちおとめのイチゴ味、那須産ブルーベリー味、関東栃木レモン味など、地元にこだわった。

 ○…帰省客などでにぎわうお盆に合わせ、登場した真夏の涼味。天然氷を極薄にスライスすることで、ふわふわで口溶けがいい食感を提供する。今月限定だが、人気が出れば9月中旬まで。1杯500円から。


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今日はこちらの番組

「日光 天然の氷 四代目徳次郎」を

放送していただきます

画面から、日光の涼をお楽しみください


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